夢を見ただけ。
風をきって丘の上から走った。とてもとても気持ちいい。それが日課だった。 親友が遅れて到着するころには、もう少年の興味は走ることから離れていて、手近な場所にいた幻獣を踏みつけて家の屋根の上に上っていた。 「遅いよ、ヒューポー」 「君がすばやいだけだよ」 少年と精霊は互いに笑いあって、屋根の上で空を見上げた。 空の果てまで飛んでみたいな。 そうつぶやいた少年に、ヒューポーが聞こえないようにつぶやいた。 『きっと、いつか飛べるようになるよ』 「おはようございます、ガンツさん」 ひときわ寂れた田舎の村ブリーガル。平和の文字がまさにふさわしいこの村で、珍しい相手に声をかけられた。 「……オメーか。天空寺院にいたんじゃねェのか?」 頭二つ分は背の低い少女がめいっぱい背伸びをして、首を縦に振った。ガンツはある程度先を予測してはいたが、そこは礼儀を考え説明させることにした。 「クロノアさんのおじいさんから、お手紙をいただいて…心配で様子を見に帰ってきたんです」 「……話は聞いてる。見舞いに行ってやれよ。どうせ、寝たきりで口もろくに利けやしないがな」 思ったとおりの答えに、ガンツは用意していた言葉を吐き出して、背後にある家を指差した。 「……その前に、何があったのか、ガンツさんはご存知なんですよね?ご一緒に旅をしていたことは、噂で知ってます。……ガンツさんと一緒だから、クロノアさんも賞金稼ぎの間で有名になっちゃったんですよ。 いい噂ばかり聞いていたのに…なぜ、こんなことに?」 天空寺院にはさまざまな人間が訪れる。訪れるものの案内をするのが、彼女の役目だった。その来訪者との会話は、彼女にとって一番の情報源なのだろう。 「有名なハンターの前で啖呵切って、勝っちまったようなガキだからな。オレが一緒だからじゃあねぇ。あいつの力だ。 それがどうしてああなったのかは、俺にも詳しくはわからねェんだ。 うわ言みたいにここのことばっかり言いやがるから、連れて来たものの…じいさんでもお手上げらしい」 両手を少し高く上げて、ガンツはかぶりを振った。 「ロロとか言ったな。……幼馴染なら、判ることもあんだろ。見舞いに行ってやってくれ」 背後のバイクに背を預けて、ガンツは腕を組んでうつむいた。もう話せることは全部話してしまった。あとは、何かできることを探すだけだ。 「……わかりました。私も、これでも巫女です。見習いだけど、私ができる限りを尽くします」 「……頼むぜ」 年端も行かない少女に頼るのは情けない気もしたが、自分にできないことを無理に実行するのは文字通り無理な話だった。 一時間後、家から出てきたロロの表情は悲しみに満ちていた。 「……ひとつだけ判りました」 差し入れに持ってきたのだろうバスケットは、見るからにまだ重そうで、中身に手もつけていないことを悟らせた。 「……クロノアさんは…眠っているんです。起きているように見えるときも、ずっと」 「……夢遊病とか、そんな類か?」 「違うと思います。何かがきっかけで、心を閉ざしてしまったような、そんな感じ。……ガンツさん、本当に心当たりは…?」 本当に心当たりはなくて、ガンツは首を横に振った。 「ああなる直前まで、あいつは笑ってたぜ。いつものお気楽ヤローだった」 「……そうですか」 腑に落ちなさそうなロロの表情が、妙に脳裏に焼きついた。 「何考えてるんだ、オメェ。 ……いや、何見てンだ、が正しいか」 窓の外を眺めながら、クロノアはベッドの上で一日中過ごしていた。 返事がないとは知りつつも、まるで壁に向かって話しかけるように、根気よく話しかけた。 いつか答えてくれそうな気がして、思うままに話しかける。 それはこの一ヶ月、ガンツの日課的行動だった。 「……どうしちまったんだよ。本当にな…」 肩にゆっくり触れて、動かないクロノアの身体をベッドに横たえた。不思議と、横になれば瞳だけは自分で閉じる。しばらくこちらを見ていた焦点の合わない瞳は、ゆっくりと瞼を下ろした。 「……眠り続けた状態、か…」 数日前のロロの言葉が脳裏によぎった。 このままだったらどうしよう。 その気持ちだけが、ガンツの精神をさいなんだ。 「起きろよ。先ィ、進むんだろ…」 昔、同じ言葉を一回だけ大声で叫んだことがある。 その言葉を小声でつぶやいて、いまだ眠り続けるクロノアにくちづけた。 相変わらず眠ったままのクロノアは、わずかに身じろいだ。 『ねえ、ときどきね、誰かがボクのこと呼んでる気がするんだ。すごく懐かしい気がするんだけど、誰が呼んでるか、判らないし、答えようとすると、消えちゃうんだ。なんでかな。必死に呼んでくれてるのに、ボクはそれに答えられない。答えてあげられなくって、時々悲しくなるんだ』 すっかり暗くなった空を見上げて、クロノアはそう語りだした。 「どうしても答えなきゃいけない気がするんだ。一言、ウン、って答えればいいだけなのに。答えようとすると息が詰まって…」 「きっと、そのうち返事ができるようになるよ」 ヒューポーがぽんぽんと肩をたたいた。うんと頷いて、クロノアは笑顔を見せる。暗くなってくると、ヒューポーが急いで家の中に入ろうと言い出した。 下へ降りて行くヒューポーを追いかけながら、クロノアはまた、自分に呼びかける声を聞いた。 「待って、ヒューポー。声が聞こえた」 「え?でも、家に入らないと。怖い魔物が出るんだよ」 ヒューポーの一回り自分より小さな手が、腕を掴んだ。 それを振り払って、クロノアは自分を呼ぶ声の方向へ走る。 「答えなきゃ。誰かが呼んでる!」 「待って、クロノア!魔物に連れて行かれちゃうよ!」 ヒューポーの叫びがどんどん遠のいた。誰かが待っていることを考えると、もういてもたってもいられない。 「ごめんね、ヒューポー…でも、きっと魔物なんていないよ。いるとしたら、この声が…」 走っているうちに、周りは本当の暗闇になった。 自分の名を呼ぶ声だけが聞こえる。 先へ進めと、声がした。 クロノアは詰まる息を必死に荒げて、ようやく呼びかけた。 「キミは誰!?なんでボクを呼ぶの!?」 『何言ってんだ…オメーの相棒、忘れちまったのか』 呼びかけにこたえると、向かっていた方向とは逆から、声が聞こえた。 『勝手に自分の殻に閉じこもりやがって。俺になんの断りもなく、どこ行ってやがった』 「……!」 驚いて振り向くと、自分よりも年上と思える少年がいた。 長い髪、大きなゴーグル、不敵な笑み。 記憶の底に、その人物がいるような気がした。 名前が不思議と口をついて出る。 「……ガンツ…?」 『思い出したわけじゃなさそうだな』 草原のはずだった地面が、固い石の床になった。その床をかつかつと、ガンツが歩いてきた。 「いつまでここに閉じこもってるつもりだ?声に答えたのは褒めてやるよ。…けどよ、何が不満なんだ。…一ヶ月も、逃げやがって」 「一…ヶ月……? ねえ、何言ってるの?僕はブリーガルで…ずっと暮らしてるんだよ。どこで会ったのか覚えてないけど、ボクはキミのこと…知らないよ…名前しか…」 「どうして、俺のことを忘れようとする?お前は、一ヶ月前まで俺と賞金稼ぎをやってた。お前は別の目的を持ってたけどな。それでも二人で、うまくやってただろ。忘れたとは言わせない…思い出せ」 ガンツの手が、クロノアの腕を掴んだ。必死で振り払おうとするものの、ヒューポーのように簡単にはいかなかった。 「お前をオレから遠ざけていたのは、お前自身だ。オレが何度お前を呼んだか、わかってるんだろう?」 「……答えたかったけど、ずっと、答えられなかった。どうしてボクのことを呼ぶのかわからなかったよ…でも、キミは、ボクを必要としてくれてた。だから、どうしても答えたくて……なのに…どうして?どうして怖いの?」 掴まれた腕が引き寄せられた。しっかり抱き寄せられ、唇に触れるだけのキスが降りてきた。 「──それは、そのうち判るんじゃねェか?」 「そのうち…?」 「そうだ。そのうち、だ」 先程とは一変して優しく頭を撫でられる。心地よい気持ちで、クロノアはガンツにしがみついた。 「……お前の本当の世界に返るんだ、クロノア」 その瞬間、世界はさらに真っ暗になった。 「ん…っ?」 身じろぎして、瞼を重たそうに持ち上げる。 クロノアの突然の覚醒に、ガンツは驚いてベッドから飛びのいた。 「お前…!?大丈夫なのか!?」 起きあがったクロノアの頬に、手のひらを添える。瞳に生気が宿っていることを確認して、ガンツはため息をついた。不思議そうに首をかしげると、クロノアは尋ねる。 「……どう、したの?ガンツ。今…なにかした?」 「あ、いや!何も…してないわけじゃないがなんでもねぇ!」 「? なにそれ…」 訝しげに眉をひそめて、クロノアは首をかしげた。 「……ふぁ。それにしてもよく寝たなぁー。身体がだるいやー」 大きな欠伸をして伸びをすると、クロノアはにっこり笑った。 「怒る気も失せるぜ…ったくよ」 ガンツは苦笑して肩をすくめた。 『キミを夢につなぎとめておきたかった。だけど、それもできないんだって思い知ったよ』 夢の中で、誰かがつぶやいた。 『だけどね、クロノア、いつでも戻ってきていいんだよ』 『心迷えるときは、好きなだけここに来るといい』 『だからゆっくり、外の世界を満喫しておいで』 『ボクはずっとここにいるから…』 言葉を紡ぐたびにその誰かは、嗚咽をかみ殺した声になっていく。 一歩だけ前に進んで、クロノアは告げた。 「ボクは戻らない。だって、ボクの勝手な行動でガンツに迷惑かけちゃったし。 必死で呼び続けてくれた彼を悲しませることはできないんだ。……ごめんね、ヒューポー。 キミといた時間はとても楽しかったよ。 でも、気付いたんだ。好きな人のことを悲しませて、夢の中に閉じこもってちゃいけないって。何も変わらないって。 …だからね、ヒューポー。いつか…キミも目を覚ますんだ」 背を向けて、クロノアは出口へ向かった。 『クロノア、キミみたいに、ボクも乗り越えられる!?』 背後から、叫び声の質問。 振り返らずに、クロノアは答えた。 「ボクができたんだから、きっと大丈夫」 そして、クロノアはまた歩き出した。 |
3時間で書いた話なので、とっても説明不足です。 要するにクロノアは自分のガンツに対する気持ちに気付いちゃって、かなわない想いじゃないのかって絶望して自分の殻に閉じこもっちゃった、って話です。 あ、ちょっとまって2行で説明できちゃうとか何 精進します…。 |