夢泥棒



 悪夢から目が覚めると、そこは天国だった。


「ねぇイシター様、この人目が覚めたみたい」
 色の黒い、小柄な少年が自分のそばにいた。どこか中性的な容姿の少年は、さながら黒い天使だった。ただし童話みたいな羽根はない。
「ここは…」
「天界だよ。キミ、ずっと眠ってて危険だったんだから」
 天界。その言葉で理解できた。自分は死んだのだ。
「イヤな夢見せてごめん、そうじゃなきゃ、キミは起きないみたいだったから」
「夢…?」
 言われてみれば、なんだかイヤな夢をみた気がする。
「この世界で三日以上眠ってると、実体化できなくなるんだよ。そうなったら助けてあげられないから…」
 少年は安心した表情で、手をさしのべてきた。差し出された手を握り返して起きあがる。
「ボクは夢見る黒き旅人。ここのこと、案内するよ。ついてきて」
 にこりと笑った少年に引っ張られるように腕を引かれ、光のさす部屋の入り口を出た。


 一歩扉を出ると、自分と同じ格好の少年や少女が大勢いた。雲の上と実感できそうな地面は実は結構堅い。そのかたい地面に思い思いに寝転がったり、歩いたりしている彼らもまた、命を落としこの世界にやってきたのだろう。
 何の説明もなしにそんな事が判るのは、何度も輪廻転生を繰り返していたからなのかもしれない。
「下界の様子が見えるよ」
 旅人と名乗った少年が、神殿を指差して導く。そこに入ると、風が急激に吹き抜けた。
 不思議と強い風なのに、空気の抵抗を感じない。自分の長い髪はたなびくどころか揺れもしなかった。だが、旅人の前髪は、服は、風に揺れている。それだけを見て、やはり存在自体が異なるのだなと理解した。
「ここは夢の神殿。ここで、ボクは下界に夢を送らなきゃならない。それだけがボクの仕事なんだ」
 小さな神殿の奥に腰をおろして、少年は遙か彼方に見える島のようなものを指さす。
「ほら、あれ。よく見ると明かりが見える」
 言われたとおりによく見たら小さな光の粒が確認できた。あれが下界。自分が今までいたらしい場所。
「下界ってどんなところなんだろうね。キミもきっと覚えてないだろうけど、いいところだと思う?」
「…さあな」
 かすかに残る記憶は曖昧だった。下界がいいところなのか悪いところなのか、そしてそこで自分はどんな人生を歩んでいたのか。さっきまで覚えていたことさえ思い出せなかった。
「ここにいる人たちはね、生きていた頃の記憶をすぐに忘れてしまうんだ。下界で次の身体を得るときに、前の記憶があると困るからなんだって」
 心を読んでいるかのように、少年が知りたいことを教えてくれた。悲しそうな表情でこちらを見て、少年は質問を投げかけた。
「ねえ、キミは何をしたい?下界に戻って、生まれ変わってから」
 その質問は数十分前なら答えられるのが当たり前なはずだった。死ぬ前まで何か目標があった。あったはずだった…だけれども。
「…わからない」
「…そっか。そうだよね。もう、前のこと忘れちゃったものね」
 口調だけは当たり前のように、しかし少年の顔は切なそうに笑っていた。
「…お前はどうなんだ?」
「えっ?」
 何かにこらえきれず、無意識に問いかける。少年が驚いて、顔を上げた。
「夢を操る力だったか?そんな力のためだけにここに閉じ込められて、それでいいのか?」
「……」
「幸せなのか?」
 少年は一瞬唖然とした表情でこちらを見た。もう一度問いかけようとすると、にっこりと、彼は笑った。
 その笑顔は何となく儚いような…一瞬とても切なく感じる笑顔だった。
「珍しいこというね、キミ。そんな事言う子、今までいなかったよ」
 その場を立ち上がり、下界の様子を眺めながら、少年はつぶやく。まるで独り言のように。
「ここに居て幸せだとかつらいとか、関係ないんだ。ボクがいなければ下界に夢を送ってあげられないから……」
 そう呟いた少年の、最後の言葉が何時までも、耳に残っていた。
「ボクはここにいなければならないから…」


「──ね、こっち来て。面白いところにつれてったげる」
 言葉と同時に急に踵を返して走り出した少年に、必死についていった。
 踏んでいると消えてしまう床や、いろんな障害物を彼は難なく飛び越えてしまう。
 不思議とそれについていけている自分にも違和感を覚えるが、それも天界仕様というわけだろう。
「こっち、こっち!」
 見たことも無い風景に見とれていると、少年が少し遠くから手招きした。
「……なんだ、こりゃ?扉?」
 近寄りながら目の前にあるものを見上げた。無駄に大きな扉は何を通すのだろう。
「おーい、カナー」
 ふと少年が上空に向かって誰かに話しかけた。上を向いてみれば、緑色の肌の、夢の少年とまたよく似た子供が椅子に座って頬杖をついていた。
「……そこから出たらダメだよ」
 何も見なかったかのようにその少年は隣にあったレバーのようなものを下ろした。
 音も立てず目の前の扉が開き、光が零れてくる。
「……!」
 その扉の向こうには様々な人が歩いていた。かすかに記憶しているそれは人間の営む街の中の風景で、その風景は高速で時代を過ごしていく。一分前に歩いていた人間が、老人になっていた。
「ここと下界の時間の流れにはすごく差があるんだ」
 それも輪廻転生には必要な事だという。
「いろんな場所にね、いくつも…この扉が数え切れないくらいあるんだ。そして、絶えず新しい命を下界に送り込んでる。だから下界では絶えずいろんなところで子供が生まれるし、そして人も死んでいくんだって、イシター様が言ってた」
「イシター?」
「天界を治めてる一番偉い神様だよ。さっき君を起こすためにいたんだけど、すぐ帰っちゃった」
 説明を求めたもののあまり興味はわかなかった。
「この扉を通ると、次に命を落とすまで帰って来れないんだ。それが誰であってもね。神様とかは別みたいだけど」
 その説明を聞いて、一瞬「お前は?」と尋ねそうになった。しかし尋ねてはいけないような気がして、口ごもる。と、少年がこちらを見つめる。
「……さっきはありがとう」
 一瞬何のことかわからないで呆ける。少年は苦笑して続けた。
「あんなふうに言ってくれた子、はじめてだったから…ちょっとうれしかった」
 これはそのお礼。と、少年はとびきりの笑顔を見せてくれる。だが、やはりその笑顔には曇りがある。
 無意識にもっと笑顔にさせてやりたいと思う。たとえ無理だとしても、幸せだと思えるようにしてやりたかった。
 しかし、自分のその気持ちに戸惑いを隠せない。この少年だってそれが仕事だから仕方ないはずなのに、どうしても少年のおかれている状況が理不尽に思えた。
「ここから逃げたいと思わないか?」
「……ううん、できないよ。そんな事をしたら大変なことになっちゃう。……でも」
 少年はにこりと笑いありがとうと言った。心からの礼とイヤでもわかるくらい、その笑顔には透き通った気持ちが表れている。
「こら、何をしてる!そこは立ち入り禁止だ!」
 見回りの女神が駆け込んできて、二人の会話は中断された。
「夢見る黒き旅人か。一般のものを連れ込むのは規律違反だぞ」
「ごめんなさい、どうしても見せてあげたくて」
 素直に注意されて謝る少年に続いて、自分も頭を下げておいた。表情だけは高圧的に、しかし優しく、女神は少年にゲンコツしながら今回だけと念を押す。
「そうだ、そこのお前。イシター様がお呼びだ。……転生の用意をするとの事だ」
 唐突な話に、一瞬目を点にする。夢見る黒き旅人が驚いて叫んだ。
「な、なんで?!まだ49日経ってないよ。彼、さっき目覚めたばっかりで…」
「イシター様のお決めになったことだ。さ、お前は見送りの準備でもしていろ」
 そう言って女神は少年を置いて自分だけを引っ張って連れて行く。ゲートのある空間を出る前に振り返ると、笑顔が返ってきた。
「見送りに行くから…きっと」
 バイバイと手を振って、少年は別の方向へと帰って行った。


 呼び出された場所はいかにも神殿の中枢という場所で、大きな玉座の上に小さな人影を確認した。
 それが女神イシターだという予測はついていたが。
「夢見る黒き旅人に、惹かれたのですね」
 暗くて顔まではよく見えないが、珠のような声と端整な顔立ちを思わせる輪郭が、女神としての風格を漂わせていた。
「彼との波長がこれほどに合う人間を見たのは初めてです。どのような人生を歩んでくればそうなるのか解りませんが…
 少なくとも、旅人に選ばれてしまったあなたを見過ごしているわけには行かないのです」
 女神の言葉は優しい。しかし、同時に冷徹さも感じる言葉だった。
「要するに邪魔者扱いって事か。わかったよ、下界にでも地獄にでも落としやがれ」
「お前、イシター様に何を言う!」
 案内してきた女神が、肩を掴んできた。睨みつけて無視すると、女神はそれ以上何も言わない。
 それは自分の言っていることが事実だからだろう。
「平たく言ってしまえばそうなります。申し訳ないとは思いますが、これ以上あの子を惑わさないで貰いたいのです」
「惑わす?」
 その言葉に何故だか嫌悪感を感じて、思わず言い返した。
「ガキをこんなところに閉じ込めておいて、ちょっとでも抵抗したら惑わされたかよ。神様って奴らはみんなそうなのか?呆れてものも言えねェな。天国って奴は正しいものが行くところなんだろ?今俺が言った事が正しくないなら、そんな天国は真っ平ゴメンだぜ」
「……あなたは、純粋だからこそそう思うかもしれませんね」
 一息でまくし立てて部屋を出て行こうとすると、冷たい命令の口調ではなく、イシターが呟いた。
「神も時には間違ったことをしなければならない…いつかそれを理解する日が来るでしょう。此処にもう一度戻ってきたらの話ですが…」
「……どうでもいいことだぜ、オレには」
 そう言って、神殿から飛び出した。とりあえず先程のゲートへともと来た道を帰る。
 何となくそうすればいいんだということを、身体が教えてくれた。
 ゲートに近づくほど、自分の身体が重たくなってくる気がした。先程の障害を飛び越えて、最後の地面に下りた瞬間、強い風が吹き抜けた。
 パタパタと髪の毛が揺れる。
 先程まで風に干渉されなかった身体は徐々に人間へと近づいているらしかった。
 ふと、先程別れた少年を思い出す。彼は最初から質量というものの干渉を受けていたように思う。
「……ひょっとする、て奴か…こりゃあ」
「……なに一人ごと言ってるの?」
 いきなり別の声が脳に響いて、驚いて振り向いた。先程の色の黒い少年が、なにか輪のようなものを持ってやってきていた。
「あ、ああ、いや。別に何も…」
「そうなの?ならいいけど。でも、間に合ってよかった。近道してよかったよ」
 此処まで来るためにどうやらいくつものルートが存在するらしい。知っている道だけを歩いているためによく解らないが、流石は古株というわけだ。
「……お別れだね。と言ってもまた一分後には、別のキミが帰ってくるんだけど」
「……記憶が消えてようがなんだろうが思い出してやるよ、意地でも」
 できるかどうかもわからないことを、軽く言ってみた。少年だってハナっから期待はしていないだろう。だけれども、それくらい言ってやりたかった。
「……なあ」
 見送りの女神がゲートの近くに近づいてきたのを確認しながら、小声で少年に尋ねた。
「……オレと逃げないか?」
「……!」
 驚いたように眼を見開いて、少年はふるふると首を振った。
 少年の肩をしっかり掴んで、しゃがんで視線の位置を合わせると、もう一度同じように誘いかける。
「ここから逃げたいと思わないか?」
「……だ、ダメ、だよ…そんな…」
 少年の赤い目は迷いを持っていた。
 甘えたい気持ちと、否定する気持ちが少年の表情で見て取れる。
 もう一度、優しく、しかし強く尋ねた。
「……オレと一緒に…行かないか?」
「──っ、やめて…!」
 自分の肩を掴む手を振り払おうと、少年は小さな両手でもがいた。しかし、力ではこちらのほうが勝っていたのか、その抵抗も無駄に終わる。少年を無理矢理抱きしめて、もう一度その耳元で囁いた。
「オレが幸せにしてやるから、一緒に行こう」
 どこの世界のプロポーズでもこんなことを言わないと思いながらも、それは精一杯の自分なりのアプローチだった。
 イシターが一番最初に言っていた言葉の意味を漸く、理解した気がする。
 もしかするとこの少年に惚れてしまったのかもしれない。
「……イシター様に、怒られるよ…」
「さっき喧嘩売ってきたからどうってことない」
 少年の抵抗はすべて、潰えた。
「……ゲート入る前に、振り返るから、走って来い」
 抱きしめた少年の背中を、ぽんぽんと叩いた。少年が思いとどまることも考慮には入れていたが、それでもいいと思った。それは少年が決めるべきことなのだから。
「時間だ、ゲートを開けるぞ」
 丁度地面に降り立った女神が、門番のカナに合図を送る。
 門番が面倒そうに、レバーを下げる。一瞬その彼がバイバイとこちらに手を振った気がした。
 音も立てずに、ゲートはまた世界を繋いだ。
 今度は真っ白な世界が広がるだけだった。
「イシター様の力が働いていると、こうやって道が出来ていくんだ」
 少年が最後の説明をしてくれた。
 そうかと頷いて、少年の目を見る。
 まだ、迷いでいっぱいだった。
 その頭を軽く撫でて、ゆっくりとゲートに近づいた。
 約束したとおりに、手前で振り返ってみる。
 少年は泣きそうな顔で、こちらを見つめていた。
 決心がつかないのか、それとも足がすくんだのか。
「……じゃあ、な。元気でな」
 仕方がない。そう思ってゲートに一歩足を踏み入れようとすると、突然少年が叫んだ。
「…──ッ、ま、待って!」
 その声に振り返ると、少年が短い距離を走って、飛びついてきた。急なことに受け止めきれずに、バランスを崩し倒れこむ。その瞬間、カメラのフラッシュをたかれたような白く強い光が、視界を覆った。
 ──どたっ、と倒れた場所はもうゲートの中だった。
「い、いててて。お前、無茶やるな…」
 無意識にやったのか偶然なのか、少年の行動にその場の誰もが意表を突かれただろう。
 まだ倒れたままの姿勢で、少年の背中をさすってやる。嗚咽をかみ殺しながら、少年は訴えた。
「ボク、キミと…キミと一緒に行く。下界に…。離れ離れになっても絶対探すから。だから、だから…つれてって…一緒に…っ」
 思わず笑みがこぼれた。起き上がって、少年の手をしっかりと握り締める。
 二人で地面を踏みしめて、はるか遠い下界への道を眺めた。
「……当たり前だろ。さっさと行くぜ。……そうだ、お前、名前は?」
 当たり前のように尋ねて、ふと、自分の名前も知らないことに気がついた。
「名前?」
「夢見る黒き旅人じゃ長いだろ。なんか、ないのか?」
 そう質問している間に自分の名前も思い出そうとする。頑張れば何か思い出すかもしれない。そうこうしているうちに、少年が呟く。
「……クロノア」
 自信なさげに呟いた少年の名前に、そのまんまだなと胸中で笑う。
 しかし、わかりやすい。
「……じゃあ、オレは…そうだな、ガンツ、でいいか。意味も何もないがな」
「……ううん、いい名前。ヨロシクね、ガンツ」
 少年――クロノアは、たった今名前のついたとは思えないほどごく自然にガンツと呼んだ。
 それが少しだけ嬉しくて、ガンツはにこりと笑う。
「……じゃ、先ィ、進むか」
 ゆったりと、しかし確実に二人は真っ直ぐの道を歩いて行った。







「夢泥棒の伝説って、知ってる?」
 古びれた絵本を開いて、クロノアがたずねた。
 話に寄れば、風の村ブリーガルに伝わる言い伝えが書かれた絵本だという。
 ガンツは興味なさげにあくびをかみ殺し、
「知らねェな」
 と返した。
「昔、この世界の夢を管理していた天使を、生まれ変わる直前の人間が下界にさらって行ったんだって。
 その生まれ変わりは今もこの世界で暮らしてるって、絵本に書いてあるんだ」
「おとぎ話の恋物語って奴か?くだらねェ」
「ガンツは夢がないなあ。でも、その時に崩れた夢の神殿のかけらが、下界に落ちて行ったから、この世界の人は夢を見ることが出来るんだってさ」
「ほー。そりゃ、夢を管理する天使なんていらねぇんじゃないか?」
 もうちょっと夢を持ってよ、とクロノアがつぶやいた。
「ところでお前、何でそんな話するんだよ?」
「え?」
 意表をつかれたような表情で、クロノアは首をかしげて考える。
「なんでかな、絵本見つけて懐かしかったのかも」
「ッたく、お子ちゃまだよなァ?お前は」
 鼻で笑って、ガンツは不意にその絵本をクロノアの手から奪う。
「……まあ、嫌いじゃないけどな」
 その古びた絵本の最後のページには、落書きなのかそれとも偶然なのか、見覚えのある二人のシルエットが描かれていた。



















 夢泥棒は、案外あなたの側にいるかもしれない。
 そんなお話でした。
 変わった話で、できるだけパロディ要素と何となく元の要素を融合したくて書いた下らないお話です;
 しかし私が書くとやっぱりカップリングになる罠。