3.breaking heart

 体温計を宿の主に返して、部屋に戻った。何時間か前まで自分が寝ていたベッドでは、クロノアが小さな寝息を立てて眠っていた。
「……チッ」
 小さく舌打ちをする。先程理性を失いかけた自分が、どうしても許せなかった。クロノアにキスをして、熱で苦しんでいるはずの身体を犯したいと思ってしまった。十数時間前に、二度と手を出さないと誓ったばかりだったのに。
 まだ子供だから、クロノアはそれを思いやりの脅しとして受け取ったかもしれない。あるいは、本心から自分を恐れてしまったかもしれない。
 薬を飲ませたとき触れた柔らかい唇は、苦い薬など負けるほど甘く感じた。欲情した、自分がいた。
 今でも目の前で無防備に横たわっている、華奢な身体に触れてしまいそうになる。
 嫌悪感。罪悪感。それから、心臓に杭が打たれるような痛み。
 それらが、まるで恨みでもあるかのように一丸となってガンツの思考をさいなんだ。
 それでも、巫女の前で守ると誓った。
 二度と手を出さないと誓った気持ちは、本当だと思いたかった。
 数時間前のことを思い出す。
 思ったより早く体温計を借りることが出来、親切に薬も分けてもらった。急ぎ足で、部屋に戻ってドアを開けようとすると、ドア越しに覚えのある声を聴いてしまったのだ。
 泣きじゃくる、クロノアの声。
 それはとても淫靡な声で、ドアを開こうとする手を引っ込めるには充分なものだった。
 いわゆる自慰行為が一つ扉の向こうで行われているのは、間違いなかった。
 自分のベッドの上で、自慰行為に耽るクロノアの声。
 今すぐドアを開けて、抱きしめたい気持ちを押さえつけた。
 やがてひときわ高い声が上がって、部屋が静かになると、意を決してノックをし、部屋に入った。
 何もなかったように振る舞うクロノアが、いじらしく思えた。
 気付いていない振りをするだけで、精一杯だった。
 何もしてやれないことに苛立ちを覚えて、ガンツは拳を強く握りしめた。


 翌朝、目が覚めるとベッドの上にクロノアの姿がなかった。一瞬最悪な想像が頭をよぎる。が、そのイヤな予感は取り越し苦労に終わった。
 がらりと備え付けのバスルームの戸が開く。バスタオルを体に巻き、湯気をまといながら、クロノアが出てきた。
「あ、おはようガンツ。起きてたの?」
 昨日の具合の悪そうな状態は陰も形もない。元気そうな姿に安堵して、ガンツは念のためとクロノアの額に手を当てた。
「随分良くなったみてェだな」
「うん、かなり調子が戻ったカンジ」
 解熱剤の効果もあるのかもしれないが、それだけでないと解るほど生気に満ちていた。
「その様子なら移動くらいなら出来るだろ。昼に出発するから、まだ少し休んどけ」
 どのみち移動はバイクである。歩かせることはないので、まだ楽観視できた。
「うん。わかった。…あれ、どっか行くの?」
「買い出しだ。今のうちに必要なモンそろえてくるから、何か必要なら言えよ。買ってくる」
 いつも着ているジャケットを羽織り、一応訪ねる。帰ってくる言葉はわかりきっていたのだが。
「あ、いいよ。何もいらない。」
「…そうか」
 予想通りの返事に、苦笑いして部屋を出た。
「帰って来るまで、外には出るなよ」
 かるく念押しをしてからガンツは宿の外に出た。


 肌寒い空気に身震いして、ガンツはバイクのエンジンを起動した。空気の震える音とともに、機体がわずかに上昇する。
 いわゆるガソリン式の二輪車と違い、下部後方から空気を排出して走るエアバイクだ。少量の燃料しか使用せず、コストもあまり掛からない。何よりも空気で浮かんで走行するぶん、二輪駆動のようなタイヤの限界速度を遙かに超えるスピードを出すことができた。
 身の回りにあるどれもこれも、趣味の領域だが、今はその趣味がかなり役に立っていることを実感する。
 発進を待つバイクのハンドルを握りしめ、ガンツは思い切りアクセルを踏んだ。



 昼食どきの宿の食堂。混雑したそこはごろつきの溜まり場だったり、旅人の情報交換の場だったり、さまざまだ。買い出しから帰り、ガンツはクロノアとその食堂に下りてきた。荷物もすべてまとめ、食事を終えれば旅立つだけだった。
「おなかすいちゃった。よく考えたら朝ご飯食べてなかったし…」
 外にでるなとうっかり念押しする前に、食事くらい運ばせておけば良かった。とはいえ、ガンツ自身も朝から食事をしていない。
「腹が減ってはなんたら、だな。風邪も全快じゃねェんだしよ」
 ウェイトレスを呼びつけて、各々好きなメニューを注文した。二人とも朝から食事をしていないぶん、量は少し多かった。
「そういえば、買い出しって何買ったの?」
 出されたお茶を飲みながら、クロノアは訪ねた。相変わらずの青いシャツと短パンといういでたちは、寒そうに感じる。
「オメーの服と、あと弾奏とか食料だ」
「服…?」
「その格好でいつまでもバイクに乗られてると困るんだよ。風邪もぶり返すだろ」
 あ、そっかとクロノアは運ばれてきた料理をぱくつきながら、相づちを返す。
「いろいろ迷惑かけて、ごめんね」
 申し訳なさそうに呟くクロノアに、ガンツはかぶりをふった。
「言っただろうが、面倒は見る。守ってやる相手の面倒も見れなきゃあ意味がねェだろ」
 黙々と手元だけは料理に伸びている。パンにバターを塗りながら、ガンツはふとクロノアを見やった。
「ありがとう」
 うれしそうなクロノアの謝礼の言葉が、耳に何度もエコーした。心なしか、クロノアはわずかな時間が経つごとに女性らしい仕草や身のこなしをするようになっていた。適応というものなのだろうか、今のクロノアの物腰は完全に女性と言っても間違いなかった。
「どうしたの?」
 不思議そうにこちらの視線を気にするクロノアに、ガンツははっとしてかぶりを振った。それから唐突に気になったことを、尋ねてみる。
「お前、慣れたか?その体」
 ぐっと喉に何か詰まったらしい。クロノアはトントンと胸元を叩き苦い顔をした。
「何言い出すかと思ったら…。
 ちょっとは慣れたよ。まだ少し足下に違和感あるけど」
 違和感というのが引っかかるが、突然の変化を考えればむしろ適応するのが早かった方だろう。
「なら、いいけどよ。何か困ったらすぐ言えよ」
 クロノアの体調を気に留めるのも、何かあってからでは遅いからという気持ちからだった。それは普段から気にはしていたが、今となってはしつこいほど本人に確認しなければならない気がする。
「うん、ありがとう」
 にっこり微笑んだクロノアの肩に、背後から手が置かれた。

「二人とも久しぶりじゃないか」
 背後からのその声に、クロノアが驚いて振り向いた。そこにいたのは恰幅の良い、クロノアやガンツよりもふた周りは齢を重ねたおじさんだった。
「パンゴ!?何でここに…!?」
 クロノアの言葉がガンツの台詞を代弁した。かつて共に旅をした仲間がそこにいれば、誰でも同じ反応をする。
 ましてや妻子持ちの彼にはもう、旅に出る理由すらないのだ。
「オッサン、またなんかあったのか?」
「また、って人をトラブルの塊にせんでくれんかな。キミ達も相変わらずだねぇ」
 相変わらず。その言葉で一瞬、クロノアのことをどう説明するか迷う。パンゴとは気が知れた仲だ。それに年長者の知恵、ともいうのか、パンゴはかなり頭が切れる。オヤジギャグさえなければ完璧なのだが…
「ワッシはこの街の花火師協会に呼ばれて、火薬講座を開講しとったのさ。火薬のすべてのノウハウを生かして、新しい調合を試したらこれが大当たりで──」
 補足、火薬のことになるといつまでも話し続けるという欠点もあり。
「へーっ、花火に人の顔が出るんだ、パンゴすっごーい!」
「確かにそりゃすごいが、オレ達は花火を楽しんでる余裕がねェんだ」
 うっかり賞賛の言葉を送るクロノアを黙らせて、ガンツは会話に割ってはいる。
「や、さっきからピリピリしてるとは思ったが、ワケありかね?」
 ガンツの予見通り、やはりパンゴは状況の変化を見抜いていたようだ。話しは早い。力を貸してもらうわけにはいかないが、この男なら何かしら打開策や閃きをするはずだ。とにかく次のステップに移るヒントが欲しかった。
「やっかいはやっかいだ。今のところ実害はないがな。……力を貸せとは言わない。知恵だけ貸してくれ」
「構わんが、そんなに深刻なのかね?」
「……ここで話すのは勘弁してくれ。話しは外でいいか?」
「構わんよ。どのみちワッシもすぐに國へ帰るつもりでいたからな」
 やはり思った通り、パンゴは快く頷いた。











シリアス展開へ突っ走りつつ、たまにはエロも入れたいな。
パンゴのしゃべり方が解りません…
なんちゅーかあの人のキャラは頭良くてはなびマニアでたまにオヤジギャグってくらいしかわからん。だめだこりゃ。
次もまたしりあすかなー
いや、全部しりあすなのかこれ。